2016年11月5日土曜日

冷たい密室と博士たち

 森博嗣さんは「プロットを用意しない」と仰っているが、行き当たりばったりで続編をよみたくなるような作品を書けるのだとしたら、天才だと言わざるを得ない。薄い人物描写もそのための伏線?のような気すらする。

 『すべてがFになる』を読み終わった時、この物語は未だ終わっていない(著者は全てをを描き切っていない)と感じたので、続編を読まずにいられなくなった。そしてこの2作目を読み終わった今も、その謎が依然解けていないと感じられる。個人的には、Who,How,Whyの全てが謎という推理小説は著者の独りよがりで、まとまるはずが無いし読者を楽しませることはできないと思っているのだが、このシリーズはあえてそれに挑戦している。結果的に私は(皆さんも?)推理することを許されず「なんだそうだったのか」という読後感を得るのだった。

 ファンが多いと聞くこのシリーズに満足できなかったと告白することは勇気のいることだが、古き良き時代の推理小説という意味では秀作であるという前置きをすることで許しを請いたい。どこが納得できなかったかと言うと3つの主題を全て謎にするという挑戦の結果、動機を暗示する伏線を撒き切れていないために、その動機が生み出す犯人やアリバイに繋がる事実が、最後に探偵が推理を述べるところで披露されることだ。

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