2016年9月4日日曜日

もはや、既存メディアから得られる情報には価値がない?

 インターネットの時代?に突入して約20年、日本の人口の半分は、その情報のシャワーを浴びているが、残り半分は、依然としてテレビなどの既存メディアから情報を得ている人たちらしい。かく言う私も、その中の一人だ…

 しかし、既存メディアから得られる情報は薄く、私たちの疑問を解決してくれない。だから私たちは、奇特にも価値ある情報を分かりやすく加工して、無料で開示してくれるハイエンドアマチュアたちのブログを閲覧するのである。

 彼らの多くは、良心的だ。メーカーのサイトのように、ありもしない私たちの欲望に点火したり、不安をあおったりすることで、購買に繋げようとするいやらしさがない。自らの失敗すら出し惜しみすることなく、自分の後を追うものを正しい道に導こうをする。後は、その人の志向が自分と合っているかどうかを見極めるだけだ。

実は私…自己啓発書マニアです…

 自己啓発書や成功哲学などを、
 自ら進んでは絶対に読まない人もいるかもしれませんけど、
 私のように、自己啓発書の chain leader もいるわけです。

 しかし、chain leader は、決して成功しません。だって、
 自己啓発書や成功哲学の読むだけで、そこに書かれていることを、
 行動に移すことがないからです。

 もし、本当に成功したければ、chain leader であることを止めて、
 そこに書かれていることを実践しましょう!
 それは、早起きであっても、毎朝靴を磨くことであっても、
 1円玉や5円玉だけを募金することでも良いのです。

苦しく窮屈な生き方

「他者の評価を気にしながら生きるのは非常に苦しく窮屈な生き方」
これは、読書メーターで見つけた言葉です。岸見一朗先生の著書である
『嫌われる勇気』を読んだ方が、ご感想・レビューに書かれていました。
もしかしたら『嫌われる勇気』の中に書かれていることかもしれません。

私たちは、他人の評価を気にしながら生きています。幼児の頃は「親」、
子供の頃は「教師」、就職してからは「上司」…
大人、あるいは人生の先輩たちが勝手に設定した「人生の目的、目標、
それに到達するための手段」を押し付けられ、その物差しで、能力を
測られる毎日が続くのです。

押し付けられる生き方を逆に利用できた子供、上手く順応で来た子供は、
大人たちから評価され、レールの上を順調に進むことができますが、
上手く順応できなかった子供、そこに疑問を感じてしまった子供たちは、
諦めてしまったり、自分を評価してくれる他の価値観に救いを求めます。

他の価値観は、往々にして提供する側にメリットがあるものであることは、
言うまでもないでしょう。

私たちは、他人の評価を気にしながら生きなければなりません。しかし、
それが、全てではありません、他人の評価を気にしている「ふり」と、
自分自身の評価の両方をバランスさせることが必要なのです。これは、
一歩間違えば、自己分裂に陥る危険性もありますが、現代社会は、既に、
それが求められるほど、過酷になっているのかもしれませんね。